第1条 はじまり

 

 

 

ああ 僕も『憲法ガール』みたいに 

かわいい子と一緒に勉強できる環境があったら

予備試験だって受かるのになあ

 

 

「そんな環境はない」

 

 

「うわ、びっくりした。帰ってたの、ねーちゃん」

「声でてたよ……。あんた、そんな感じだと、予備試験、一生受かんないよ」

ねーちゃんは、美人だけど性格がかなりきつい。口も悪い。今は弁護士をしてる。何年か前に予備試験も受かってる。

「てか、不合格者に対するいたわりの気持ちはないの?」

「短答すら受かってないあんたに、いたわりを求める資格はない」

……いつにもまして機嫌悪いな。

「はあぁ」

ねーちゃんはため息まじりにソファに座り込む。

僕は、ねーちゃんのこのマンションに居候させてもらっている者として、一応、つとめを果たすことにした。

「どうしたの?何かあったの?」

「あんたに話しても意味ない」

ほら来た。でも、聞かないとそれはそれでキレるんだよね。だから、聞くことが大事。それがつとめ。

「仕事大変だった?依頼者に無理なこといわれた?」

ねーちゃんは、仕事はできるようで、これまでもトラブルに見舞われるようなことはなかったはずだけれど、仕事から帰ってきたばかりだから、やっぱり仕事関係かな。

「仕事は完璧に決まってるでしょ。バカなの?」

あ、そうですか。じゃあ何だよ。

ねーちゃんは、再びため息をつく。

「……今日さ、同期から連絡があって……」

同期?あ、司法修習生時代の同期かな。

「一緒に司法試験や予備試験とかの受験生に勉強教えないか、って誘われて」

「そうなんだ」

ん?別に問題ないよね。

「やればいいじゃん。仕事も落ち着いてきたから、できなくはないでしょ」

深いため息をつくねーちゃん。

「受験生って、基本あんたみたいにバカじゃん。特に司法試験系の受験生ってプライド高いのにほとんどがバカじゃん」

ひどいな……

「あんたみたいなバカ、目の前にしたら、我慢できずに、絶対、あんたに対するのと同じようなこと言っちゃうと思うんだよね。それで間違いなく人間性疑われるから、それがもー、憂鬱で憂鬱で」

ああ、そういうことか。なんか、一丁前に悩んでいるけど、全然可哀そうじゃない。むしろこっちが被害者だ。付き合いきれない。

「じゃあ、断ればいいじゃん。仕事が忙しいとか言って」

「私、ソトヅラ、ちょーいいのよ!性格も含めて、めちゃくちゃイイ女で通ってるの!」

それ自分でいう?!

「しかも世話になった同期からの誘いなんだから、無碍に断ることなんかできるわけないでしょ!それくらい考えれればすぐわかるでしょ!」

わかんないよ。

「てか、ねーちゃんのソトヅラがどうなろうと僕に関係ないでしょ」

「はあ?忘れたの?あんたが私に食わせてもらえてるのは、私のソトヅラのおかげでしょ!」

……そうだった。ねーちゃんはこの容姿とソトヅラの良さで仕事の依頼もひっきりなし、僕はその恩恵にあずかっていたんだ。大学3年の僕は一応バイトはしてるけど基本、ねーちゃんにおんぶにだっこだ。

「あんたにも大いに関係があるんだから、いい方法を考えて!」

痛いところをつかれた僕はぐっとこらえて考えをめぐらした。

「……断るのは、やっぱり、なしなんだよね?」

「量は減らせても、完全に断るのは無理!」

「バカにバカっていっちゃいそうなのを避けたいんだよね?」

「そう!バカの前でも、誰からも好かれるこの優しいイメージを崩したくないの」

無茶言うなあ。記憶を遡っても僕の前では昔からずっとこの調子だったからなあ。

「そもそも私がこうなったのは、あんたの頭の中が小さいころから残念だったことが原因なんだから、あんたが責任もって解決策だしなさいよ」

ああ、もう、なんなのこの人……呆れすぎてだんだん意識が薄らいできた……

その時、頭の中を白い閃光が通り抜けたような気がした。

そうだ……

「……ねーちゃん、僕を練習台として教えてみたら……?」

長い沈黙が続いた。

ねーちゃんはやっと口を開いた。

「ワタシガアンタニオシエル?」

目の焦点が合っていない。その発音は、日本語を初めて話した外国人みたいだ。

「そう、僕が練習台になる」

でも、僕は、はっきりとした口調で続けた。

「僕が練習台になるから、ねーちゃんは、僕を相手に落ち着いた、優しい受験指導の練習をすればいいと思う」

そう僕が屍になればいいんだ。

ソファからおもむろに立ち上がったねーちゃんは、よろよろとキッチンの方に向かっていった。戻ってきた右手にはウォッカの瓶、左手には氷入りのグラス。ウォッカを注ぎ、氷がカランと音を立てたその瞬間、ねーちゃんは、そのウォッカを飲み干した。

「……わたしが、練習として、あんたにやさしく受験指導をする……」

ねーちゃんは、確かめるようにつぶやいた。

「そう!ねーちゃんの練習にもなるし、僕の勉強にもなる!」

「……あんたにしては、いいアイデアね」

こうして、ねーちゃんとの予備試験対策が始まった。