第3条 司法試験と予備試験の難しさの違い(予備試験平成27年商法設問2を素材として)

「ねーちゃん、予備試験と司法試験って、論文どっちが難しかった?」

休日の昼下がり、クローゼットから引っ張り出したスーツを鏡の前でとっかえひっかえ胸に当ててうなっているねーちゃんに、僕は声をかけた。

「そんなのどっちだっていいでしょ!わたしは忙しいのよ。ああ、明日の尋問、どっちにしようかな」

どっちのスーツもネイビー系だから、それこそ、どっちでもいいんじゃないかって思う。

「あんた、今、どっちのスーツもネイビー系だから、どっちでもいいんじゃないかとか思ったでしょ!」

エスパーか。眼光はスナイパーだけど。

「思ってない思ってない」

「予備試験と司法試験ってどっちが難しかった?って、あんたは、両方受かんないといけないんだから、比べてもしょうがないでしょ。バカなの?」

きついなあ、まったく。

「でも、合格率は司法試験の方が断然高いし、予備試験合格者の司法試験合格率がすごく高いから、実際、予備試験の方が難しいんじゃないのっていう意見もあって。予備試験の勉強ってつらいけど、司法試験よりも難しいとか司法試験とほとんど変わらない難しさだって思えれば、そんな難しい予備試験に挑戦しているんだっていうことで耐えられる気もして…」

「ああ、なるほどね」

ねーちゃんは、スーツを持つ手を止めて、こっちに向き直った。

「前提として、問題文の中に仕込まれた検討対象事項の量の多さや深さの点から見たら、断然司法試験の方が難しいと思う。ただ、司法試験は出題の入り口がマニアックじゃないんだよね。メジャーなことを多角的に深く検討させようとする。しかも、検討対象を問題文で明示してくれることが多い。逆に、何が出るか分からない、こんなところ勉強してないよってところを冷酷に出してくるの予備試験で、1年に1回の試験でそういう予測のできなさがあるところが難しさの一つだよね。ローで普通やらないからか司法試験論文では手形・小切手法はでないけど予備では出されるし、平成24年憲法の国民審査とかはかなりえぐいわね」

「なるほど」

確かに、出題範囲に違いがある気がする。予備試験は自由に出題されてる感じがする。

「あと、やっぱり、分量の違いね」

そう言って、ねーちゃんはパソコンを起動させて、法務省のホームページを確認している。

「ほら、行政法なんだけどさ。添付資料まで含めた問題文の文字数を令和4年で比べると、司法試験は約7350字、予備試験は約3000字。司法試験で答案1枚書くのに15分かかるとして6枚書くとしようか。そうすると90分かかるから、120分の試験時間で問題文読んで答案構成するのに30分使えるんだけど、7350÷30=245で、1分で245文字に目を通さないといけない。一方で、予備試験でも1枚15分で3枚答案書くとすると、45分使うよね、で、試験時間は70分だから、問題文読んで答案構成するのに25分使える。3000÷25=120だから、1分で120文字に目を通すことになる。問題文の全部を最初から最後まで1文字1文字読む必要はないけれど、どこに何が書いてあるか、どの材料をどう使うか、を考えて整理しながら情報を受け取らないといけないよね。そうすると、1分当たりの文字数が司法試験は予備試験の単純に倍以上あるから、きついよね。たくさんの情報を適切に受領・整理できる能力が司法試験の方では高く要求されているといえるわ」

ほんとうだ。全然違う。

「他の科目もこんなに違うの?」

行政法が一番違いがあるとは思う。今、令和4年で見てるけど刑法はそんなに差がなさそうだね。まあ、司法試験は用意された情報量が多くて、問題も複雑で、とにかく試験時間が短くて大変だけれど、書くことが期待されている内容の中心はメジャーなことが多いから、あんまり一つ一つに深入りせずに、時間内にバランスよく全ての設問に満遍なく解答できれば、競争倍率も高くないので受かるイメージかな。それだと上位合格は難しいだろうけれど」

「ねーちゃんは、司法試験の方が難しかったの?」

「わたしは、体感的には予備の方が難しかったな。司法は途中答案にならないように調整するのが大変だったけど、バランスよく最後まで時間内に全科目書ききれば、合格自体はできそうな感触があって、実際合格できたから」

ふーん、そういう体感なんだ。

「反対に、予備試験は、検討時間にも余裕があってその気になれば問題文を何回も読めるから、パッと目につくメジャーなところだけさらっと検討して書いても、合格ラインに達さないんじゃないかって感じる。合格率も低いしね。気抜くと簡単に落ちる。だから、かなり泥臭く問題文の細かい事情に食らいついた方がいいと思う。全科目でやるのは難しいかもしれないけれど、試験中、ここは!!って思うところは積極的に点を取りに行った方がいいと思う。試験現場で初めて考えて解答とその理由を文章で表現する科目も出てくると思う。知らないことは一切書かない、全科目守るんだっていう姿勢だと、知っていることが他の受験生よりも圧倒的に多いならいいけれど、そうじゃなければ、必然的に他の受験生よりも狭く浅い答案になるから、結局、守れてないことになっちゃう」

「試験中に閃いたり神が降ってきたら危険っていわない?」

「普段勉強していない人の思いつきは確かに危険だけど、これまで必死に勉強してきた人が人生かかった大一番の試験で集中して問題文を検討している最中に閃いたなら、一呼吸おいて、正しいかはわからないけれど少なくとも間違いじゃないだろうことを確認したら、それは勝負に出るべきだと思う」

「でも、怖くない?」

「怖いけど、実務だってそうだから。たくさん準備して臨んでも、予想外のことが起きて、でも正面から何らかの解答をその場で出さないといけない瞬間もあるよ。仕事の性質上仕方ないからそういうのも含めて試験で試されていると思った方がいいよ。特別なことじゃないんだよ」

特別なことじゃない、か。

 

ねーちゃんは、再び、法務省のホームページ内の検索を始めている。

「お、これだ。予備試験の平成27年の商法の設問2。これ見て。」

問題文を読んでみた。あ、これは前に検討したことあるぞ。

「Y社は原則としてEらに対する責任を負わないけれど、例外的に、会社法22条1項により負うんじゃないかって検討する問題だよね」

「いい感じじゃん!短答落ちにしては」

うるさいよ。

「で、22条1項によりY社は責任を負うの?」

「ええと、商号の続用が要件なんだけど、Y社はX社の商号の続用はせず、X社が営んでした『甲荘』という名称を続用しているにとどまるから、この要件を満たさないけれど、同条項を権利外観法理のあらわれと解すれば、名称の続用でもその趣旨が妥当するから類推適用されて、負うよ」

「それだけ?」

「?答案を実際に書くときはもっと規範定立もあてはめも丁寧に書くつもりだけど、こんなもんじゃないの?」

「それじゃ、問題文への食らいつきが足んないよ。もっと牙、差し込まないと!条文をよく読んで、問題文もよく読んで、往復しないと」

 

会社法22条1項

 事業を譲り受けた会社(以下この章において「譲受会社」という。)が譲渡会社の商号を引き続き使用する場合には、その譲受会社も、譲渡会社の事業によって生じた債務を弁済する責任を負う。

 

「Y社は、X社からホテル事業を譲り受けているから『譲受会社』でいいよね」

「そう。うん、要件を抽出して一つずつ事実と突き合わせるのは大事ね。ちなみに、ホテル事業をX社の事業の重要な一部と評価して『譲受会社』に当たると説明することもできるわね。それで、続きは?」

「ええと…」

うーん、もう「譲渡会社の事業によって生じた債務」しか怪しい要件はないな。

「『譲渡会社の事業によって生じた債務』は満たす?」

ああ、考えがまとまらないうちにねーちゃんからの攻撃が。でも、その瞬間、僕は閃いた!食中毒って不法行為じゃない?

「X社のEらに対する損害賠償債務は不法行為に基づく債務だから『事業によって生じた債務』に含まれない可能性がある」

「お、開発されてきたね。その可能性はあるね。Eらは、債務不履行構成と不法行為構成を採ることができるけど、不法行為に基づく債務は『事業によって』生じた債務に含まれないかもしれない、と。でも、まあ、取引行為・事業に端を発した不法行為だから、結論としては含まれると考えるのが普通だろうね」

いやあ、ゾーンに入るってこういうことなんだな。なるほど、これが予備試験で勝負にいく際のポイントか。

「…それで、他には?」

「え?」

ねーちゃん、何言っているの?

不満そうな顔でねーちゃんは続ける。

「もう終わり?」

「…まだあるの?」

「あると思っているから聞いている」

背中で一筋汗がツーっと落ちて行った。まだ何かある…?

 

設問内容は「ホテル事業をX社から承継したY社は、X社のEらに対する損害賠償債務を弁済する責任を負うかについて、論じなさい。」だよね。ううう、思いつかない…

「Y社がX社から承継したのは?」

「…ホテル事業だよ」

「じゃあ、X社のEらに対する損害賠償債務は何が原因で生じたの?」

ん?僕は、改めて、問題文を読み直した。事実4と7によれば、Eらは、弁当製造販売事業で製造された弁当を食べた被害者だ。あれ?

ねーちゃんは同じ質問を繰り返した。

「Y社がX社から承継したのは?」

そうか!

「X社のEらに対する損害賠償債務はY社が承継していない弁当製造販売事業から生じた債務だから、『譲渡会社の事業によって生じた債務』に当たるかどうかも問題になると思う」

「でも『譲渡会社』であるX社『の事業によって生じた債務』であることに違いはないんじゃないの?」

僕は頭をフル回転して答えた。

「いや、その部分の文言だけ見ると、そうとも言えるけど、譲受会社と譲渡会社という言葉は表裏であって、譲渡対象の事業は共通のものとして条文を読むのが自然なはず。だから、事業内容が一致しないのはおかしい」

「そうだね」

そういうと、ねーちゃんは、満足そうに1つのスーツを手に取った。

「明日は、こっちにしよう」

僕にはねーちゃんのスーツの違いがわからない。でも、予備試験について何か少し掴めた気がする。いや、でも、やっぱり気のせいか…

スーツを片付けながらねーちゃんが言った。

「結論は、どっちでもいいんだよ。条文と事実を付き合わせる、そのときにできた隙間を見逃さないこと。これが本当に大事。典型論点・既存の論点じゃないんだけどね。そして、隙間に気付けば、それを埋められないものとして断念するか埋めようとするかは大概、自由。今日のあんたはその隙間に気付けたね」

まだ日が短いから、ブラインドからもう西日が差しこんでいた。

第2条第2項 短答刑法穴埋め問題その2

ああ、時間切れ…

「答えは?」

ねーちゃん、般若みたな顔している。

答えが出てないなんてとてもいえない…

「3か4か5……」

「それじゃ、受かんないでしょ!!」

ちょー、こわ。ドSだな。ドS式合格講座だよ。

「意地でも解答ださなきゃ話になんないでしょ」

「そりゃ、そうだけど、会話も少しややこしいし。問題文の量も多めだから無理だよ」

「あんたね、言い訳はやることちゃんとやった後に言いなさいよ。あんたの解答プロセスには無駄があった」

ん?どういうこと?

「まず、あんたは、会話文の①と②のところを読んだ後、【発言】の確認にいったよね」

「うん、そうだよ」

「前もって1から5の候補の確認はした?」

「あ、それはしてない」

「1から5までを見れば、①と②には、それぞれアかイのどちらかしか入らないことが分かるでしょ。あんた、①と②の辺りを読んだ後、【発言】全体を何となく見てたけどその行動に意味ないから。①や②にウ以下は入らないんだから、アとイだけを確認するべきだった」

グサッと来た。確かに、頭の中が整理されていないから、目が泳いで無駄なところを読んで、時間のロスが起こっていたかも。

「それで、①にイ、②にアが入るのは、その通りなんだけど、3、4、5を見ると、③の候補がそれぞれオ、カ、キになってるね。だから、本問を正解できるかどうかは、③の判断にかかってる」

確かに。ねーちゃんは続ける。

「実は、会話問題でも、判例知識に関する空欄を埋めることで解答の選択肢が一気に絞れることがあるんだよ。だから、会話問題でも、発言者のセリフの中に「判例は」とか「判例からは」みたいなワードがないか探すといいよ。解答も、会話の全部をじっくり読まなくても、空欄の前後を見ていくだけで出ることがほとんどだし、逆にそれで解答がでないんだったら、あんたにその空欄は埋められないから。とにかく、その空欄は、翻れば出題者が絶対に解答してほしいと考えていたポイントといえるし、復習の際にも、真っ先に頭にいれないといけない知識なんだよ。本問なら、①から③を入れれば正解に辿り着けたよね。だから、④と⑤には比重がないんだけど、普段の勉強の時に、①から③と同じテンションで④と⑤も押さえようとしていたら大変でしょうがない。あんたは、もともと脳の容量が1メガバイトなんだから」

最後の一言は余計だけど、大事なことをいわれているような気がしたのでスルーした。

「じゃあ、空欄は、全部埋める必要はないの?」

「その質問をすること自体バカの証拠。まず、全部の空欄を埋めないといけない問題かどうかを自分で判断する。そして、埋めないでいいのであれば、次に、どこの空欄を埋めれば良いのかを判断するってこと。その目安となるのが判例知識ね。もちろん、判例よりも条文が大切だから条文そのままの知識で埋められる空欄があればそこを先に固めたいけどね。」

「それは解くときの話?」

「そう。本番とかで解くときはそうして行く。で、普段の勉強の時でも解くときはそうするんだけど、復習時の知識の補充の際にも正答に至る正しい道筋を確認してこれを基準に、必須の知識とオマケの知識を意識的に区別しながら記憶していくのよ」

「ある問題ではオマケの知識だったけどある問題では必須の知識になることもあるんじゃないの?一つの問題でそうやって決めつけるのは危険じゃないの?」

「決めつけるわけじゃなくて、この問題では、ここが急所だったんだなっていうのを意識するの。ただ、漫然と全体にローラーをかけるんじゃなくて、何が大切だったかを意識・判断するの。そのこと自体が合格するための頭の使い方として大切なのよ。それに、けっこう、ある問題の必須の知識は他の問題でも必須の知識として扱われてるよ」

「でも、そんな難しいこと考えなくても、短パフェを回せばうかるんじゃないの?」

「タンパフェ?牛タンのパフェ?を回すの?」

「短パフェだよ!辰巳(辰巳法律研究所)の短答過去問パーフェクトだよ、過去問集、バイブルでしょ」

「ああ、今、短パフェっていうんだ!私の頃はそんな呼び方してなかったような……。うん、回す回す。でもさ、この試験は、特に論文がそうだけど、用意された事実と自分がもっている知識を使って『判断』することが求められるものなんだよ。それが無意識にでも分かった上でバンバン回すのなら良いんだけど、判断するという主体性を忘れて知識を仕入れるのは、短答の合格には近づいても、論文の合格にはそんなに近づいていないというか、むしろ遠ざかっている気がするね。私は、こんな感じでやってたよ」

ふーん、ねーちゃんも一応いろんなこと考えて受験してたんだな。

「それで、本問の解答はどうなるんだっけ?」

「あんたの解き方があまりにお粗末だったから脱線しちゃった。判例は、『カ.刑法第65条第1項により甲及び乙は業務上横領罪の共犯となり、同条第2項により乙に対しては単純横領罪の刑を科す』ね。これは、覚えてないと無理ね。というのは、判例や通説が採る、65条1項は占有者等の構成的身分に関する規定で非身分者との連帯を定め、他方、65条2項は業務者かどうか等の加減的身分に関する規定で非身分者と連帯しないこと(個別)を定めている、っていう前提からだと、「キ.刑法第65条第1項により甲及び乙は単純横領罪の共犯となり、更に同条第2項により甲については業務上横領罪が成立する」といった方向に結論がいくはずだから。ところが、判例は、業務上横領罪の処理に際しては、『業務上の占有者』というひとカタマリの構成的身分として65条1項を適用しているの。確かに、本問では、後ろに「非身分者について罪名と科刑の分離を認めるのは妥当でないという批判がなされています。」というのがあるから、これを根拠にカを選ぶこともできるけど、これ自体が判例に対する重要な批判ということで空欄にされる可能性があるからね」

「④と⑤は?」

「マイナーな話になってくるから、がっつり押さえるのは試験対策上は非効率だけど検討すると、まず、【発言】候補のウ自体に違和感を覚えるわ。業務者たる身分が違法身分か責任身分かは争いがあるけれど、占有者たる身分が個別判断に傾く責任身分というのはおかしいかなって。そして、仮に④にウが入ったとしても、占有者たる身分が2項で個別ならば、乙には単純横領罪自体成立しないことになるけど、オからキ全てで、乙には単純横領罪か業務上横領罪が成立しているでしょ。だから、ウはないかな。で、エがあり得る普通の見解であるんだけど、1項で違法身分=占有者→連帯、2項で責任身分=業務者→個別とすると、『キ.刑法第65条第1項により甲及び乙は単純横領罪の共犯となり、更に同条第2項により甲については業務上横領罪が成立する』が入るよね」

なるほど。

「解答方法を捕捉すると、本問では、事例を把握して、判例というワード見付けて、③にカを入れる。そうすると、解答は、一気に1か4の2択なってる。そこから、①②又は④⑤で自分が埋めやすいと感じた方を埋めれば速く答えがでるかな」

「逆に、③で迷うと抜け出せないんだね。確かに、論理的にはキが入りそうだもんね」

判例がちょっと変わったこといってることを意識して欲しいっていうのが出題意図かもね。ちなみに予備校の答練や模試だと、本試験の短答問題と違って、こういう教育的配慮・志向が行き届いてないから、正解できるかどうかの判断に係る知識に意図はなくて、単に細かいだけのいじわるな知識の場合があるよ。だから、本試験のように解答プロセスを分析する必要もないし、むしろ調子崩さないように気を付けないとだね」

なるほどねー

「あ、でも、ねーちゃん、短答1問でこんなに解説してたら、すぐ飽きられるよ。もっと、コンパクトにパンパンいかないと」

「それは、あんたのレベルが低すぎたからでしょ」

「でも、そこを上手くやるのが講師でしょ」

「教えてもらう側が文句ばっかいって!受験生はレストランの客じゃなんだよ」

「でも、講師もサービス業だから」

「たく、文句ばっかりいってる受験生が合格後にどんな法律家になるのか楽しみだわ。あ、ほとんどは受からないか」

「ねーちゃん!」

ふと、ねーちゃんが真面目な顔をしてこちらに向き直った。

「私にバカにされて悔しかったら、あんたも、絶対に受かりなさいよ!」

そうだった。受験生である以上、合格以外に僕が楽になる方法はないんだった。

僕が密かに決意を新たにしていると、ねーちゃんがニヤニヤしながら僕の顔を覗き込んできた。

「ねえ、今回、私、アメとムチ、うまく使い分けてたよね?」

いや、ムチと竹刀を交互に使ってただけだよ。

第2条第1項 短答刑法穴埋め問題その1

「さ、やるよ」

 次の休日、リビングの机に六法を用意して、若干緊張して待っていると、伊達眼鏡をかけてスーツを着た、いかにも女教師といった感じの生き物が颯爽と現れた。

「……ねーちゃんさ、ほんと何でそういうノリになっちゃうかな……」

「普段しみったれた生活している受験生にはこれくらいの方がウケがいいんじゃないの」

 サービス精神は旺盛なんだな。でもちょっと古いんじゃ。

「とりあえず、短答やろうか。あんた、短答さえ受かってないクズだから」

「いや、だからそれ!」

「ああ!短答に合格なさっていない遠慮深い方?でいい」

遠慮じゃなくて受かりたくても受かれないんだよ……

「じゃあ、私が選んだ短答過去問をまずは一緒に解いていこうか。解き方や知識確認、あと、ゆくゆくはその知識が論文にも使えるようにまとめられればいいかなって思って」

「そうそう!すごくいいよ。なんか講師っぽい!」

「ほんと!?」

 ねーちゃん、めちゃくちゃ嬉しそうだ。

「あんたは、どの科目からやりたい?」

「とりあえず、練習だから、ねーちゃんの得意な科目でいいんじゃないの?」

「予備の短答は法律科目だけで190点近くあったから、特に得意不得意がないんだよねー、うーん、どうしよう」

え、法律科目平均9割くらい取れてたってこと?普通に怪物じゃん。

「まあ、じゃあ、手始めに刑法やろっか。じゃあ、記念すべき第1問目ね!2分で解いて」

 そういって、ねーちゃんはA4用紙を一枚机の上においた。

 

<司法・刑事・H23-16=予備・刑法・H23-5>

 業務上の占有者による横領行為に非占有者が加功した場合の罪責について、教授及び学生が次の【会話】のとおり議論している。【会話】中の①から⑤までの( )内に後記アからキまでの【発言】から適切な語句を入れた場合、正しいものの組合せは、後記1から5までのうちのどれか。

【会 話】

教授.保険会社の保険料集金担当従業員である甲が、同社の従業員ではない知人乙と共謀の上、集金した保険料を横領した事例のように、業務上の占有者に非占有者が加功した場合のそれぞれの罪責について、共犯と身分の観点から、どのようなことが問題になりますか。

学生.業務上横領罪の成否に関して、同罪は、単純横領罪との関係では(①)であり、他方、非占有者との関係では(②)となりますから、特に乙に対して、何罪が成立するのかが問題になります。

教授.判例ではこの事例はどのような結論になりますか。

学生.判例は、(③)としています。

教授.判例の立場に対しては、どのような批判がなされていますか。

学生.非身分者について罪名と科刑の分離を認めるのは妥当でないという批判がなされています。

教授.この点を克服するための考え方としては、どのようなものがありますか。

学生.刑法第65条第1項は違法身分について規定し、同条第2項は責任身分について規定していると考え、業務上横領罪については、(④)と捉えた上で、この事例では(⑤)とする見解などがあります。

【発 言】

ア.占有の受託者という身分があることによって犯罪行為になる構成的身分犯

イ.業務者という身分があることによって刑が加重・減軽される加減的身分犯

ウ.占有の受託者たる身分は責任身分、業務者たる身分は違法身

エ.占有の受託者たる身分は違法身分、業務者たる身分は責任身分

オ.刑法第65条第1項により甲には業務上横領罪が、同条第2項により乙には単純横領罪がそれぞれ成立し、甲及び乙は単純横領罪の範囲で共犯となる

カ.刑法第65条第1項により甲及び乙は業務上横領罪の共犯となり、同条第2項により乙に対しては単純横領罪の刑を科す

キ.刑法第65条第1項により甲及び乙は単純横領罪の共犯となり、更に同条第2項により甲については業務上横領罪が成立する

1.①ア ②イ ③カ ④ウ ⑤オ

2.①ア ②イ ③キ ④ウ ⑤オ

3.①イ ②ア ③オ ④エ ⑤カ

4.①イ ②ア ③カ ④エ ⑤キ

5.①イ ②ア ③キ ④ウ ⑤カ

 

「え、2分?!」

 僕は急いで問題文を読もうとした。けれど、焦って、なかなか内容が頭に入ってこない。

 ようやく、共犯と身分の問題ということに気付いても、同時に、自分が共犯と身分の論点が苦手だったことに気付いて絶望的な気持ちになった。

 いや、でも、まだ時間はある。

 そういえば、前回の予備試験のために過去問1周したときにやったはず。ええと、①は業務上横領罪と単純横領罪の関係で、②は非占有者との関係だから……①が刑の重い軽いの身分のはなしで、②が犯罪になるかどうかの身分のはなしだよね。だから、【発言】を見ると、ええっと、ああ、一番上に「ア.占有の受託者という身分があることによって犯罪行為になる構成的身分犯」ってある。これが②に入って、「イ.業務者という身分があることによって刑が加重・減軽される加減的身分犯」が①に入るのかな。

お、3と4と5がそうなってる!

でも、急がないと!「教授.判例ではこの事例はどのような結論になりますか。学生.判例は、(③)としています。」か。【発言】をみよう。「ウ.占有の受託者たる身分は責任身分、業務者たる身分は違法身分」。

?なんか、日本語として入らないかな。次、エも同じだね。そうすると、オ、カ、キのどれかか。なんか似てるなあ。うう、判例どれだっけ。

「はい!2分!!おしまい!」

 ――――――― ねーちゃんから非常な声が発せられた

第1条 はじまり

 

 

 

ああ 僕も『憲法ガール』みたいに 

かわいい子と一緒に勉強できる環境があったら

予備試験だって受かるのになあ

 

 

「そんな環境はない」

 

 

「うわ、びっくりした。帰ってたの、ねーちゃん」

「声でてたよ……。あんた、そんな感じだと、予備試験、一生受かんないよ」

ねーちゃんは、美人だけど性格がかなりきつい。口も悪い。今は弁護士をしてる。何年か前に予備試験も受かってる。

「てか、不合格者に対するいたわりの気持ちはないの?」

「短答すら受かってないあんたに、いたわりを求める資格はない」

……いつにもまして機嫌悪いな。

「はあぁ」

ねーちゃんはため息まじりにソファに座り込む。

僕は、ねーちゃんのこのマンションに居候させてもらっている者として、一応、つとめを果たすことにした。

「どうしたの?何かあったの?」

「あんたに話しても意味ない」

ほら来た。でも、聞かないとそれはそれでキレるんだよね。だから、聞くことが大事。それがつとめ。

「仕事大変だった?依頼者に無理なこといわれた?」

ねーちゃんは、仕事はできるようで、これまでもトラブルに見舞われるようなことはなかったはずだけれど、仕事から帰ってきたばかりだから、やっぱり仕事関係かな。

「仕事は完璧に決まってるでしょ。バカなの?」

あ、そうですか。じゃあ何だよ。

ねーちゃんは、再びため息をつく。

「……今日さ、同期から連絡があって……」

同期?あ、司法修習生時代の同期かな。

「一緒に司法試験や予備試験とかの受験生に勉強教えないか、って誘われて」

「そうなんだ」

ん?別に問題ないよね。

「やればいいじゃん。仕事も落ち着いてきたから、できなくはないでしょ」

深いため息をつくねーちゃん。

「受験生って、基本あんたみたいにバカじゃん。特に司法試験系の受験生ってプライド高いのにほとんどがバカじゃん」

ひどいな……

「あんたみたいなバカ、目の前にしたら、我慢できずに、絶対、あんたに対するのと同じようなこと言っちゃうと思うんだよね。それで間違いなく人間性疑われるから、それがもー、憂鬱で憂鬱で」

ああ、そういうことか。なんか、一丁前に悩んでいるけど、全然可哀そうじゃない。むしろこっちが被害者だ。付き合いきれない。

「じゃあ、断ればいいじゃん。仕事が忙しいとか言って」

「私、ソトヅラ、ちょーいいのよ!性格も含めて、めちゃくちゃイイ女で通ってるの!」

それ自分でいう?!

「しかも世話になった同期からの誘いなんだから、無碍に断ることなんかできるわけないでしょ!それくらい考えれればすぐわかるでしょ!」

わかんないよ。

「てか、ねーちゃんのソトヅラがどうなろうと僕に関係ないでしょ」

「はあ?忘れたの?あんたが私に食わせてもらえてるのは、私のソトヅラのおかげでしょ!」

……そうだった。ねーちゃんはこの容姿とソトヅラの良さで仕事の依頼もひっきりなし、僕はその恩恵にあずかっていたんだ。大学3年の僕は一応バイトはしてるけど基本、ねーちゃんにおんぶにだっこだ。

「あんたにも大いに関係があるんだから、いい方法を考えて!」

痛いところをつかれた僕はぐっとこらえて考えをめぐらした。

「……断るのは、やっぱり、なしなんだよね?」

「量は減らせても、完全に断るのは無理!」

「バカにバカっていっちゃいそうなのを避けたいんだよね?」

「そう!バカの前でも、誰からも好かれるこの優しいイメージを崩したくないの」

無茶言うなあ。記憶を遡っても僕の前では昔からずっとこの調子だったからなあ。

「そもそも私がこうなったのは、あんたの頭の中が小さいころから残念だったことが原因なんだから、あんたが責任もって解決策だしなさいよ」

ああ、もう、なんなのこの人……呆れすぎてだんだん意識が薄らいできた……

その時、頭の中を白い閃光が通り抜けたような気がした。

そうだ……

「……ねーちゃん、僕を練習台として教えてみたら……?」

長い沈黙が続いた。

ねーちゃんはやっと口を開いた。

「ワタシガアンタニオシエル?」

目の焦点が合っていない。その発音は、日本語を初めて話した外国人みたいだ。

「そう、僕が練習台になる」

でも、僕は、はっきりとした口調で続けた。

「僕が練習台になるから、ねーちゃんは、僕を相手に落ち着いた、優しい受験指導の練習をすればいいと思う」

そう僕が屍になればいいんだ。

ソファからおもむろに立ち上がったねーちゃんは、よろよろとキッチンの方に向かっていった。戻ってきた右手にはウォッカの瓶、左手には氷入りのグラス。ウォッカを注ぎ、氷がカランと音を立てたその瞬間、ねーちゃんは、そのウォッカを飲み干した。

「……わたしが、練習として、あんたにやさしく受験指導をする……」

ねーちゃんは、確かめるようにつぶやいた。

「そう!ねーちゃんの練習にもなるし、僕の勉強にもなる!」

「……あんたにしては、いいアイデアね」

こうして、ねーちゃんとの予備試験対策が始まった。